2009年05月05日

三草山登山-畑コース 5

4fce0012.jpg今日は子どもの日.天候は曇り.前から登りたかった三草山に登った.いつもは大学から走って鹿野コースの途中で折り返していた.今日は,一番速く登れるという畑コースに挑戦.
登山口に車を置く.意外と車の台数が多い.登山道はよく整備されている.横には桜が植樹されている.4月に登るときれいだっただろうなぁ.
三草山-初老の男性早速,降りてこられた男性とすれ違い,挨拶をする.そして,少し話を聞く.初老の男性はもう50回ほど三草山を登られているらしい.畑コースは若い人だったら40分で頂上まで行けるといわれた.
三草山は眺望がよいことで有名.途中,景色がよいところが何カ所かある.
三草山-松の木の男性次に出会った人は,アカマツの木に登り,望遠レンズで景色を撮影されていた.ガサガサと音がしたので私はびっくりしたけれど.撮影されていたのは,宗教法人念佛宗三寶山無量壽寺だった.ゴルフ場と同じくらいの敷地がある,ギネス級の宗教施設である.
途中,樹木の花を撮影しながら登った.これはまた後日レポートしよう.
三草山-頂上の賑わい登り初めて35分で頂上に到着.頂上は大変賑わっていた.入れ替わりで20名はいた.「ゴールデンウィークやけど,することもないので山に登った」とか「見晴らしがいいのでこの山は気に行っている」と熟練登山者の会話が聞こえる.ベンチがあり,そこでお弁当を食べ,植物図鑑を広げて自然を満喫する.
遠くは淡路島まで見えるようだが,私の視力では無理だった.山頂には三草山の歴史を刻んだ碑があった.以下,引用.
三草山城趾
 三草山は播磨平野の北東隅にあり,山麓をはしる街道は,古くから,播磨と丹波を結び京の都への要路であった.
 寿永3年2月,平家追討のため,源九郎義経の率いる一万余騎は,丹波小野原の里に布陣し,夜半,民家や山野に火を放ち,三草三里の山中を駆け抜け,一挙に平家の陣に突入した.三草山の西の山口に陣取る小松三位中将資盛,左中将有盛など平家一門七千騎は,不意の夜討ちに弓矢を取るいとまもなく,もろくも,屋島をさして敗走していった.これが世にいう「三草合戦」と,「平家物語」などの伝えるところである.その後,建武3年,赤松出羽守則友がこの地に山城を築いた.嘉吉元年の騒乱のとき,三草口に赤松方の将余野能登守国祐が配置され,また,「嘉吉の乱」の後にも,赤松満政,則尚が三草山城で山名方の軍勢と一戦を交えて敗れたことなど,三草山にまつわる歴戦の史である.
 新社町発足25年周年記念事業として,清水・東条湖県立自然公園内のこの地に,「三草山遊歩道」を新設し,住民こぞって郷土の歴史的遺産を保存し,学園都市社町のシンボルとすべく,ここに碑を建立するものである.
昭和55年4月 三草山に遊歩道をつくる会長 社町長 石古勤


alby at 17:37コメント(1)トラックバック(0)理科教育   mixiチェック

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コメント一覧

1. Posted by とす   2009年05月09日 01:12
昔よく山登りをしました。
下る人達が登っている僕たちに優しく
「がんばれっ♪もう少しで頂上だよ」
と声を掛けてくれるのが嬉しくてたまらなかった記憶があります。

久々に登山してみたくなりました♪

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